被災地報告・南三陸町

被災地支援ネット信州

2011年05月28日 15:34


穂高養生園・企画広報さわと申します。
5月14日〜20日岩手・釜石から仙台まで南下、途中おもに南三陸町にてボランティア活動をしてきました。

今回のメンバーは代表・福田、木と人カフェやエコハウス棟梁・みち、私の3名。
現地、南三陸町にて自然エネルギーの会社・Sun A co Ltd (有)サンエー技研・松沢さんと合流し、主にこの4名で活動しました。

松沢さんはご自身のマイクロバスにて3月14日に現地入りし、そのまま2ヶ月以上ボランティア活動をされている、ボランティア歴40年の頼もしい存在です。


↑こちら松沢さんのドラエモンポケットのような...マイクロバス。

まず14日岩手花巻・釜石にて活動している山田周生さんの元へ向いました。
周生さんばバイオディーゼルカーで日本一周のプロジェクトの途中で震災に合い、そのままこの車を生かし、支援物資の届かないような避難場所や個人宅に物資を届ける活動などを続けている方です。昨年、養生園に立ち寄って下さり、以後のおつきあいです。
5月GW中に、穂高養生園にてチャリティ音楽会を開催し、周生さんへの支援金を集めましたので、その報告と、今後の支援活動に関して意見の交換などをしました。
周生さんはここでの活動から、地元の方達との繋がりが生まれ家を借り、腰を落ち着けて活動なさるそうです。

この場所で自然エネルギーやパーマカルチャーのサイトを作り災害に強い場所つくりや、地元ミュージシャンとつながって地元発信のアースデーができないか?と考えているそうです。また、震災から二ヶ月がたち、心のケアが必要な時期になっていること、みんな感情をとめているので、本当は助けを必要としていても言えないでいる人達にこちらが気付いて支援していくことの大切さなどを伺いました。家が全壊せず、残ってしまったために我慢して支援も求めず暮らしている人たちも沢山いるそうです。


周生さんのバイオデューゼルカーの説明を受けているところです。

当初は、このまま周生さんの活動を手伝う予定でしたが、15日より都内のイベントにて支援活動の報告があるということで、南三陸町まで南下してボランティアすることにしました。
途中小さな避難所に立ち寄って、お話を伺いました。今必要なものは「とにかく仮設住宅」とのこと。震災後2ヶ月経ち、避難所での暮らしに疲れがでているようです。食事に関しても野菜がなかなか届かないとのこと。


瓦礫の分別が始ったり、電柱がたったり、ひと月前もボランティアに行ったみち君の写真ではもっとひどい瓦礫の山だったので、マンパワーの凄さを感じました。でもこういった光景が、東日本の太平洋側ほとんどだと思うと、そのマンパワーを持続していく工夫が必要だと思いました。


釜石から南三陸町に行く途中の堤防。コンクリートの壁が分断されています...。

15日〜18日は、南三陸町にてボランティア活動。
ボランティアセンター(ベイサイドアリーナ)に登録し、福田と落合は津波に流されてしまった写真を洗浄・展示し、持ち主の元に返す活動の展示作業ボランティア。
みち君は、支援物資を分別・配布する活動をしました。

またこのセンターにある自衛隊のお風呂は、とてもよく機能していて、私たちもお世話になりました。地元の人達の交流の場になっています。でも、水道の復旧ができていないという暮らしの不便さを感じました。


お風呂の近くに国境なき医師団の営む無料カフェがあり、そこで現地のおばあちゃんに当日の様子を聴いているところです。ボランティアと被災地の方との交流の場所になっています。

17日ボランティアセンターから志津川自然の家(中規模の避難所)に移動。
移動中に港の瓦礫掃除をしている漁師の方達とお話させていただきました。津波が来ると解った時、多くの漁師さんは船を守るために、船にのって沖に出るそうです。想像すると、命がけというか、勇気があるというか...海の男のたくましさを感じます。
自然の家にてボランティア登録を済ませ、4名とも津波によって1階と倉庫に水とがれきが入ってしまった民家の泥のかきだしと掃除のボランティア活動。
夜、福田は被災者の方々のマッサージなどの治療活動を行いました。ボディケアをしながら被災者の方々のお話を聴くことができました。身体がほぐれると、心もほぐれるようで、悩みなどの本音を聴けたことは成果の一つです。養生園はセラピストが働いている場所ですので、今回ご縁ができた避難場所に再度赴き、マッサージやアロマセラピーの施術を被災者の皆さんに楽しんでいただけるような支援をできたらと思っています。今回、避難場所の連絡先などもいただいてきたので、次回訪れる時には、事前に何ができるかお伝えして、被災者の皆さんのニーズにより細かく答えられるといいなと思いました。次回の課題です。




写真は、掃除をする前の倉庫の様子。漁師さんのご自宅の倉庫でしたので、網や農機具などが泥をつけてめちゃめちゃに積み上がっています。
下の写真は、掃除後の倉庫の様子。
これを被災された本人だけで行うとしたら、どうでしょうか?前日は、ボランティア3名で床下の泥だしをやっていたそうですが、この日は家の持ち主の家族も含めて10名くらいで作業することができ、大きな物も運ぶことができました。人手は本当に貴重です。

18日引き続き、民家の掃除支援。
午後遅くに、石巻大指林業者生活改善 センター(小さな避難所)訪問。代表の阿部さんと対話。今後できる支援について話し合いました。阿部さんは、私たちが訪れるとすぐに「ボランティアの方ですか?ありがとうございます」とまず迎えて下さり、避難生活の事も細かく答えて下さいました。
この避難場所には、美容室の出張サービスとお好み焼きの炊き出しサービスが来ていました。こういった出張サービスも行きやすい人数の場所にやはり集中しているのかもしれません。。。

青空美容院とお好み焼きの炊き出し。さっぱりと気持ち良さそうでした。
さまざまな支援の形がありますね!
ここでは手作り風呂や、移動シャワーコンテナなどもありました。

港では、被災者の方達が自力で、湾内の瓦礫を引き上げる活動をされていました。
海の男達、たくましいです。自分たちで出来ることを進めています。




19日 宮城県南三陸町から仙台へ移動
移動の途中に女川町ボランティアセンター(女川 総合体育館)に立寄り、対話。
女川原発は停止中で、近隣住民の避難場所にもなっていました。近くの女川原発PRセンターに立寄りました、期間無期限で休館中でしたがお話を少し伺えました。
津波と堤防の高さがほぼ一緒だったようで、大きな被害はなかったものの、やはり私は怖さを感じました。




石巻に行く途中、松沢さんが設置した太陽エネルギーパネル。

その後仙台まで南下。ここまで波がきたのか?と驚くほど広範囲に津波の爪痕を見ました。
イギリス在住の元・養生園スタッフが支援金を送った、仙台のNPO法人地球のステージに立寄り支援活動の状況などを聴きました。

19日深夜に仙台を出発し、20日に穂高に戻りました。

東北から戻って...

東北の人達は我慢強く人間性も豊かで、こちらが学ぶことが多かったです。今回、岩手と宮城に行かせてもらいましたが、その自然の美しさには驚きました。森も植樹の森ではなく、多種の木々が生きる豊かな森です。入江も同じくです。避難所で「ほんとにいい所ですね」と言うと、「津波がなかったらね」と本音の一言。でも皆さんがやっぱりこの土地を深く愛していることは伝わってきました。
東北の方達の暮らしを支えて来たこの自然、豊かな森と海を、震災の前以上に豊かにとりもどしたいという思いが生まれ、支援の形を広く考えるようになりました。福島には行きませんでしたが、豊かな自然とその中での人間の営みということを考えると、エネルギー政策に関しても市民として明確な意見を持ち、実践していくことの必要性を感じています。東北だけの問題ではなく、日本全体が今後どういった豊かさを求めていくのか?そうした市民による創造の場をつくっていくことも課題だと思っています。

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