2011年07月06日
ゆくりりっくレポート 1(5/22〜5/24)
1: 5/22〜5/24
ゆくりりっく音楽慰問 小千谷⇨石巻
by.ふま (鳥居史子)
私が被災地に音楽を…と言う思いを馳せたのは震災から一週間目でした。
直ぐにマネージメントの西澤に相談を持ち掛けたのですが、テレビで『無名アーティストが災害に乗っかり歌を売ったり現地に押しかけるのは充分な売名行為である』と言われ始めていた矢先だったので、衣食住事足りるまでは時期を見合わせ様と言う話になりました。
せめてダウンロードアルバムを無料配信と言いましたが、同理由でみおくりになりました。
そんな時、被災地で入院する子供達に向けてアルバムを無料配信して欲しいと言うリクエストを頂き10日間の話し合いの後、特設ページにてアルバム無料配信を開始しました。
この出来事を持って西澤も音楽の重要性を感じ、何とかできる事は無いかと話し合う様になりました。
まだ瓦礫撤去の成されていない場所に突然行くと言う事より、先ずは自分で見てくると東京の仲間を通じ早々に石巻に出かけて行きました。
着いた避難所でリーダー高橋さんに名刺を渡した所、音楽慰問について興味を持って下さり、是非来て欲しいと言って下さいました。
しかし無名と言う事にハードルを感じた西澤が正直に無名でも良いのか…と質問をぶつけた所、有名無名に関係なく来て欲しいと言って下さいました。
私のプロフィールを見て尚更と言って頂けた事がきっかけで慰問がきまりました。
丁度、小千谷(中越地震)の復興イベントが決まっていたので、是非復興した場所の皆様から元気を頂いて届けよう…と、日程をそこに合わせてツアーを組みました。
22日の極楽パンチ@小千谷極楽寺のイベントは素晴らしく、見習い所の多いチャリティーイベントでした。
この日対バンになったAilie(メジャーアーティストであり気功治療の専門家)と西澤が昔からの知り合いであった事から石巻同行が決まり、翌朝早くに小千谷を出ました。
お昼を過ぎた頃、窓の外に津波で被害にあった街が見え始めました。
左右に広がる景色が全く違い、ビックリしました。
被災地二度目の大ちゃん(西大介さん)の解説で高速道路や河川がついたてになって被害の明暗を分けたと知りました。
石巻に入り先ず訪れたのは広淵小学校の体育館でした。
ここには震災後専修大学に避難されていたおじいちゃんおばあちゃんが住んでいて、専修大学にて介護に当たっていた友人の山本あみさんからのメールから慰問させて頂きました
ライブは得意の懐メロを歌わせて頂き、一曲ごとに人が増え、手拍子が響き、後半はリクエストを頂き一緒に歌いました
本当に楽しくて、あっという間に時間は過ぎ、アンコールで何を歌おうか…と聞いたらおじいちゃんが部屋から一枚のFAXを持ってきてくれました
それは『北国の春』の歌詞で、震災後応援歌として送られてきたんだそうです。
私も舞台を降りて一緒に北国の春を歌いました。
ライブ後ひとりひとりの方とご挨拶
強く握られた手と『私達頑張るから』『もとの美しい東北にすっから待っててね』などの力強いメッセージに私が元気を貰いました
ここは光へと歩み始めている、と感じました
☆ライブ映像☆
動画1http://www.youtube.com/watch?v=RVDw7G6hw4w
動画2http://www.youtube.com/watch?v=rEnvvru5_TU
動画3http://www.youtube.com/watch?v=rmMg3lfSJqg
動画4http://www.youtube.com/watch?v=ye8JqXX1FNQ
動画5http://www.youtube.com/watch?v=MS6lg07iuVQ
動画6http://www.youtube.com/watch?v=k9LQVAQCUL4
動画7http://www.youtube.com/watch?v=3Upvba-IAhM
動画8http://www.youtube.com/watch?v=oI3LyrfaGI8
広淵小学校に別れを告げ、石巻高校トレーニング室へ
ここは唯一壁を作らない避難所として海外メディアにも注目されている場所で、100人の人が大家族の様に生活しておられました
到着と共に用意されたご飯は自衛隊の方々が作って下さった物で、煮物、焼物、蒸物、汁物、漬物にご飯でした。
ご飯がしっかりしているとそれだけで心が豊かになるね、などと話しながら避難所の一角に作られたこども大国(レクリエーションスペース)で頂きました。
夕食後に設営し、ライブとワークショップの予定でしたが、時間がキリキリだった事からワークショップは翌朝にまわして、ライブをしました
知ってる歌も知らない歌も一緒に手拍子で楽しい時間でした。
小千谷から合流したAilie達も一緒にセッションし、それはそれは楽しい時間でした
ライブ後、子供達がいっぱい来てくれて消灯まで遊びました
消灯後、打ち合わせをする為に避難所の外に出た私達を追いかけてきた人がいました
彼女は『何にも無いけど、せめてビールでもどうぞ』と言って私達に差入れを下さいました
聞くと避難所で消灯後に帰ってくる旦那さんと一緒に晩酌をしているのだとか
立ち話も…と車に一緒に乗り込んでお話する機会を頂きました
ご夫妻から地震当初の事を聞きました
旦那さんは女川で壊滅状態だった所が職場で、津波に耐えて自力で石巻に戻って来た事
奥さんは地震発生時家の近くで働いていて、次男(未修園児)がいたのです酷い揺れの中家に蛇行しながら走って行ったら、崩れた家が目に入り、もしかして…と思ったら声も出なくなったそうです
「ハッとして力を振り絞り『れんた〜』と呼んでも返事がなく、すくんだ足を前に出し家に入ろうとしたら中かられんたが出て来たので一緒に高台に逃げたよ。お兄ちゃんは学校だったから大丈夫だろう、会えるだろう、と先ずは身の確保に全力を尽くしたんだよ」
そう話す彼女は少し目に涙をためていました。
彼女に今何が1番欲しい?と聞くと『平常な時間と環境』と答えました
たとえ一日でも家族だけでゆっくり出来る環境が欲しい
そして子供達が遠慮せず走り回れる環境に連れて行ってあげたい
今あるこの暮らしは当たり前ではないから、普通の一日を過ごして『きっとすぐに生活は戻るから信じて頑張ろうね』と言ってあげたい
被災はしたけど、人様にお世話になる生活は続けて行くわけにいかないから早く希望を持って自立したい
我が家は車も家も実家も全部なくなったから早くみんなで落ち着いた毎日を送りたい
この話を聞いた所で、翌日も早朝から始まる一日に備えよう、と就寝時間を迎えました
翌朝6時に起床、そして朝礼。
リーダーのお話から始まり、自衛隊の方が作って下さった朝食を頂き、大人達を会社に見送る
そして登校までの時間は子供天国!
みんなとお散歩したり歌ったり楽しく過ごしていると『今日は雨が降るから雨具を持っていく様に』との声と共に響く子供達のブーイングの声
ここは晴女として何とかしなくては…と子供達に『今日は雨具持ってかなくてイイよ。みんなが頑張ってるから神様が晴れの日をプレゼントしてくれるよ。』と言いました
少し思案しながら顔を見るからニコっとするとみんな雨具を持たずに登校
玄関先でウクレレ弾いて即興で作った“いってらっしゃいのうた”を熱唱してお見送り
しばらくすると黒い雨雲は全部散って真っ青な晴れ空が広がりました
お母さん達もビックリして『これで晴れなかったらふまちゃんどうするんだろうって思ったら晴れた〜』『信じてると奇跡は起こるんだね、頑張ろう』などと言いながら、楽しそうにお洗濯を始めました
10時からのワークショップまでの時間、疲れている方にマッサージをさせて頂きました。
避難所の朝方は思った以上に寒く、案の定冷え症に悩んでる方が多かったです
前日からずっとしかめっ面のおばあちゃんが気になっていたので尋ねてみると『震災の前日に抜いた親知らずの後が炎症起こして痛くて仕方ない』と教えて下さったので、ゆっくり時間をかけてマッサージしました
マッサージの後はAilieの気功のワークショップ
少し自然療法の話も交えながら皆で瞑想会
ワークショップの最後にはみんな笑顔で飛び跳ねていました
さっきのおばあちゃんもニコニコで『痛みが嘘みたいに消えて嬉しい』と言ってダンスのワークショップにも参加されてました
昼食を頂き、いよいよ出発
寂しくなるからこっそりと荷物を詰めて帰路に出ました
途中崩れた鳥居が気になり、車を停めて行ってみると高台に上がる階段が続いていて、津波を逃れる為に沢山の人がそこに登った形跡が残っていました
そこから観た石巻の全貌に震災の猛威と今から始まる新しい時代を感じて松本へ向かいました
私は石巻で希望を観た気がします
復興ではなくて新興しようと言っている皆さんは本当にキラキラして素敵でした
私にできる事は歌でみんなに元気を届ける事です。
これからも石巻に通う予定です
どうぞ皆様も石巻の未来を祈っていて下さい
長いレポート
最後まで読んで下さりありがとうございました
ゆくりりっく音楽慰問 小千谷⇨石巻
by.ふま (鳥居史子)
私が被災地に音楽を…と言う思いを馳せたのは震災から一週間目でした。
直ぐにマネージメントの西澤に相談を持ち掛けたのですが、テレビで『無名アーティストが災害に乗っかり歌を売ったり現地に押しかけるのは充分な売名行為である』と言われ始めていた矢先だったので、衣食住事足りるまでは時期を見合わせ様と言う話になりました。
せめてダウンロードアルバムを無料配信と言いましたが、同理由でみおくりになりました。
そんな時、被災地で入院する子供達に向けてアルバムを無料配信して欲しいと言うリクエストを頂き10日間の話し合いの後、特設ページにてアルバム無料配信を開始しました。
この出来事を持って西澤も音楽の重要性を感じ、何とかできる事は無いかと話し合う様になりました。
まだ瓦礫撤去の成されていない場所に突然行くと言う事より、先ずは自分で見てくると東京の仲間を通じ早々に石巻に出かけて行きました。
着いた避難所でリーダー高橋さんに名刺を渡した所、音楽慰問について興味を持って下さり、是非来て欲しいと言って下さいました。
しかし無名と言う事にハードルを感じた西澤が正直に無名でも良いのか…と質問をぶつけた所、有名無名に関係なく来て欲しいと言って下さいました。
私のプロフィールを見て尚更と言って頂けた事がきっかけで慰問がきまりました。
丁度、小千谷(中越地震)の復興イベントが決まっていたので、是非復興した場所の皆様から元気を頂いて届けよう…と、日程をそこに合わせてツアーを組みました。
22日の極楽パンチ@小千谷極楽寺のイベントは素晴らしく、見習い所の多いチャリティーイベントでした。
この日対バンになったAilie(メジャーアーティストであり気功治療の専門家)と西澤が昔からの知り合いであった事から石巻同行が決まり、翌朝早くに小千谷を出ました。
お昼を過ぎた頃、窓の外に津波で被害にあった街が見え始めました。
左右に広がる景色が全く違い、ビックリしました。
被災地二度目の大ちゃん(西大介さん)の解説で高速道路や河川がついたてになって被害の明暗を分けたと知りました。
石巻に入り先ず訪れたのは広淵小学校の体育館でした。
ここには震災後専修大学に避難されていたおじいちゃんおばあちゃんが住んでいて、専修大学にて介護に当たっていた友人の山本あみさんからのメールから慰問させて頂きました
ライブは得意の懐メロを歌わせて頂き、一曲ごとに人が増え、手拍子が響き、後半はリクエストを頂き一緒に歌いました
本当に楽しくて、あっという間に時間は過ぎ、アンコールで何を歌おうか…と聞いたらおじいちゃんが部屋から一枚のFAXを持ってきてくれました
それは『北国の春』の歌詞で、震災後応援歌として送られてきたんだそうです。
私も舞台を降りて一緒に北国の春を歌いました。
ライブ後ひとりひとりの方とご挨拶
強く握られた手と『私達頑張るから』『もとの美しい東北にすっから待っててね』などの力強いメッセージに私が元気を貰いました
ここは光へと歩み始めている、と感じました
☆ライブ映像☆
動画1http://www.youtube.com/watch?v=RVDw7G6hw4w
動画2http://www.youtube.com/watch?v=rEnvvru5_TU
動画3http://www.youtube.com/watch?v=rmMg3lfSJqg
動画4http://www.youtube.com/watch?v=ye8JqXX1FNQ
動画5http://www.youtube.com/watch?v=MS6lg07iuVQ
動画6http://www.youtube.com/watch?v=k9LQVAQCUL4
動画7http://www.youtube.com/watch?v=3Upvba-IAhM
動画8http://www.youtube.com/watch?v=oI3LyrfaGI8
広淵小学校に別れを告げ、石巻高校トレーニング室へ
ここは唯一壁を作らない避難所として海外メディアにも注目されている場所で、100人の人が大家族の様に生活しておられました
到着と共に用意されたご飯は自衛隊の方々が作って下さった物で、煮物、焼物、蒸物、汁物、漬物にご飯でした。
ご飯がしっかりしているとそれだけで心が豊かになるね、などと話しながら避難所の一角に作られたこども大国(レクリエーションスペース)で頂きました。
夕食後に設営し、ライブとワークショップの予定でしたが、時間がキリキリだった事からワークショップは翌朝にまわして、ライブをしました
知ってる歌も知らない歌も一緒に手拍子で楽しい時間でした。
小千谷から合流したAilie達も一緒にセッションし、それはそれは楽しい時間でした
ライブ後、子供達がいっぱい来てくれて消灯まで遊びました
消灯後、打ち合わせをする為に避難所の外に出た私達を追いかけてきた人がいました
彼女は『何にも無いけど、せめてビールでもどうぞ』と言って私達に差入れを下さいました
聞くと避難所で消灯後に帰ってくる旦那さんと一緒に晩酌をしているのだとか
立ち話も…と車に一緒に乗り込んでお話する機会を頂きました
ご夫妻から地震当初の事を聞きました
旦那さんは女川で壊滅状態だった所が職場で、津波に耐えて自力で石巻に戻って来た事
奥さんは地震発生時家の近くで働いていて、次男(未修園児)がいたのです酷い揺れの中家に蛇行しながら走って行ったら、崩れた家が目に入り、もしかして…と思ったら声も出なくなったそうです
「ハッとして力を振り絞り『れんた〜』と呼んでも返事がなく、すくんだ足を前に出し家に入ろうとしたら中かられんたが出て来たので一緒に高台に逃げたよ。お兄ちゃんは学校だったから大丈夫だろう、会えるだろう、と先ずは身の確保に全力を尽くしたんだよ」
そう話す彼女は少し目に涙をためていました。
彼女に今何が1番欲しい?と聞くと『平常な時間と環境』と答えました
たとえ一日でも家族だけでゆっくり出来る環境が欲しい
そして子供達が遠慮せず走り回れる環境に連れて行ってあげたい
今あるこの暮らしは当たり前ではないから、普通の一日を過ごして『きっとすぐに生活は戻るから信じて頑張ろうね』と言ってあげたい
被災はしたけど、人様にお世話になる生活は続けて行くわけにいかないから早く希望を持って自立したい
我が家は車も家も実家も全部なくなったから早くみんなで落ち着いた毎日を送りたい
この話を聞いた所で、翌日も早朝から始まる一日に備えよう、と就寝時間を迎えました
翌朝6時に起床、そして朝礼。
リーダーのお話から始まり、自衛隊の方が作って下さった朝食を頂き、大人達を会社に見送る
そして登校までの時間は子供天国!
みんなとお散歩したり歌ったり楽しく過ごしていると『今日は雨が降るから雨具を持っていく様に』との声と共に響く子供達のブーイングの声
ここは晴女として何とかしなくては…と子供達に『今日は雨具持ってかなくてイイよ。みんなが頑張ってるから神様が晴れの日をプレゼントしてくれるよ。』と言いました
少し思案しながら顔を見るからニコっとするとみんな雨具を持たずに登校
玄関先でウクレレ弾いて即興で作った“いってらっしゃいのうた”を熱唱してお見送り
しばらくすると黒い雨雲は全部散って真っ青な晴れ空が広がりました
お母さん達もビックリして『これで晴れなかったらふまちゃんどうするんだろうって思ったら晴れた〜』『信じてると奇跡は起こるんだね、頑張ろう』などと言いながら、楽しそうにお洗濯を始めました
10時からのワークショップまでの時間、疲れている方にマッサージをさせて頂きました。
避難所の朝方は思った以上に寒く、案の定冷え症に悩んでる方が多かったです
前日からずっとしかめっ面のおばあちゃんが気になっていたので尋ねてみると『震災の前日に抜いた親知らずの後が炎症起こして痛くて仕方ない』と教えて下さったので、ゆっくり時間をかけてマッサージしました
マッサージの後はAilieの気功のワークショップ
少し自然療法の話も交えながら皆で瞑想会
ワークショップの最後にはみんな笑顔で飛び跳ねていました
さっきのおばあちゃんもニコニコで『痛みが嘘みたいに消えて嬉しい』と言ってダンスのワークショップにも参加されてました
昼食を頂き、いよいよ出発
寂しくなるからこっそりと荷物を詰めて帰路に出ました
途中崩れた鳥居が気になり、車を停めて行ってみると高台に上がる階段が続いていて、津波を逃れる為に沢山の人がそこに登った形跡が残っていました
そこから観た石巻の全貌に震災の猛威と今から始まる新しい時代を感じて松本へ向かいました
私は石巻で希望を観た気がします
復興ではなくて新興しようと言っている皆さんは本当にキラキラして素敵でした
私にできる事は歌でみんなに元気を届ける事です。
これからも石巻に通う予定です
どうぞ皆様も石巻の未来を祈っていて下さい
長いレポート
最後まで読んで下さりありがとうございました
Posted by 被災地支援ネット信州 at 14:27│Comments(0)
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